女神の福音~心流紀行

縁あって訪れた女神の社にまつわるetc...

【兵庫県】四所神社

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良いお酒、おいしい料理、楽しい会話…徒然なる縁に感謝をしながら迎える朝。程よく呑んだお酒に、少し深い眠りの人たち。家族風呂を予約くして、partnerと少し体を温めに…そんな朝です。

外湯とはまた違った趣のあるのが各旅館が用意している内湯。それぞれに趣向を凝らした温泉は、眠った体を起こすのにはちょうど良いものです。

城崎温泉の外湯は早い処では7時から稼働しています。いまはどうか知りませんが、昔は一番札という物を求めて、6時くらいから並んでいる人がいたそうです。一人並んでいると、その後ろの人は、そこの湯に入りたいと思っていない限り他所に行くようですね(笑) 温泉街のミッションクリアアイテムのようなモノですね。

四所神社

城崎温泉街の中央、7つの外湯の一つ”御所の湯”の隣に位置する神社です。城崎温泉の守護神とも呼ばれる古来よりの城崎温泉氏神・温泉の守護神として信仰されています。
かつては、城崎は「四所神社」を境に、西が上部・東が下部と別れていた…とか

四柱の神とは、温泉守護神の湯山主神多岐里比売神田記津比売神市杵比売神宗像三女神です。宗像三女神は水の守護神であり、小生の追いかける?女神さんでもあります。

心流紀行

朝の温泉街というのは幻想的な世界です。朝もやが山から下ってくるような感じで立ち込めています。そんな中で朝散歩。一応、前日に、参拝はしていますが、やはり、詣れるのであれば午前中にという感じで…朝の温泉街散歩と洒落込みます。

人通りは少なくレトロな街並みの中で小鳥のさえずりのようなものが混ざると大正の町に迷い込んだ気分になります。間の良いことに下駄で歩いている音もそういうのを演出しているようですね。

からんころん、と地を叩く音が何とも風情を高めます。

 

城崎温泉の朝湯のために並ぶ人を眺めながら、誰もいない四所神社へと足を踏み入れます。鳥居をくぐると神域ですが、何とも此処には不思議な空気があります。此処には鳥居が無く柱が二本、神域との境界を示しています。境界の内と外で空気感が全く同じです。前日に来たときは空気感が変わったのですが…差し詰め神様たちも朝湯かな(笑)

ということは不在? 10月でもないのに…

それはさて置き、本殿に向かいます。空気が纏わりついてくるような感覚があります。これまでに肌を撫でるように風が抜けていくという感覚は味わっていますが、背後から背を押す様に風が舞い纏わる感覚。何処か熱を持った風に…自然と「おかえり」と声が漏れます。

問題は小生は遊びに出かけていた神が誰かはわからないということ。わかる人もいるようですが、正直にわからない!と宣言しておきます。

 

四所神社は、本殿でご挨拶を。こちら、主祭神には申し訳ありませんが、ご縁深いのは市杵比売神ですね。諸説色々ありすぎて、調べも休憩中ですが…一つ一つコツコツと、です…宗像三女を辨財天と同位とするか、市杵比売神をそうするかは場所で様々です。もともと、こちらの神社では辨財天としてではなく水の神として奉られています。湯殿ということに起因しているのでしょうね。

ただそれは奉る人の都合。奉られている神様には関係の無い事です。神仏習合の習いによればここにも辨財天と同等の神が鎮座しているわけです。小生は、いつものように辨財天真言を口ずさみお詣りをするということです。

 

城崎温泉には他にもpower spotと呼ばれるところが多く、人の足はどうしてもそちらに向きやすいようです。実際、この神社は氏神社としての役割の方が強い印象を受けますが、主祭神をサポートする水の神々に敬意を払うのも忘れられていないように感じられます。

折角なので、ゆったりと一人の時間を楽しみます。神々との対話、らしいものができればよいのですが、何となく感じるだけの時間です。ただ心穏やかにしていると、啓示のようなものを受けることができるかもしれません。そんな厳かな空気が広がります。

そして、ふと自身の矮小さに気付かされます。

「気にするなよ」と語り替えられたような感覚。四柱の誰の声?かは解りませんが不意に響いたような。それは、この地に鎮座していることに対する小生の疑問に答えてくれたかのようでもあります。

誰かにありがたがられるためにそこに居るわけではない、と。時々、氣が付き立ち寄ってくれる存在があれば満足だ、と。

それは仕事をする小生にも言えるものかもしれません。誰かに認められたくて仕事をしてきたわけではなく、自分の生活のためが中心です。そこにすべき要件、案件が重なり物事を考え行動をするというだけの行為ですが、これはやはり仕事の範疇です。仕事を続けるうえで、様々な経験と知識が、多くの方の力へと成っていく事があります。それは単に喜ばしいことです。「ありがとう」と添えられる笑顔に満足している自分もいます。そこに付帯する評価は、勝手に独り歩きをしているのかもしれません。

無償の行動が小生にはなかったのかもしれません。もちろん仕事上での手助けである以上、何らかの原動資金は必要ですが、そこに多くを求めことは必要ないのかもしれません。

自分ができることで、誰かのためになるのなら、それでよい。

そう語られると周りのpower spotのことはどうでもよくなります。行く機会もあるでしょうが、慌てていく必要もなく、縁が結ばれたときに行けばよい、そんな風に感じられます。

宗像三女のような域にすぐに達することは…あれですが…辨財天の足跡を追いかけていく中での学びとして素敵な時間が訪れたことを感謝できる朝の時間です。

神域を出ようとするとpartnerが「満足できた?」と声を掛けてくれます。何とも照れ臭くも、幸せな一言に、小生黙ってpartnerが駆け寄るのを待ちます。

 

 

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