女神の福音~心流紀行

縁あって訪れた女神の社にまつわるetc...

【熊野三社巡り】1社目 熊野本宮大社

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玉置神社に参拝して一週間後。気になるものは気になる。ということで気を氣に昇華させる旅路へと出かけることにした。気になったらすぐに動く。と日常でそうする事ができたらすばらしいのですが…中々、要件は揃わないこともあります。

この辺は「おいで」とされたのでしょう。入ってきた情報に、段取りを組んで、動いてみることにしました。

色々と理由をつけて行動をしないのは、結局何事も変えられないこと。と最近読んだ本で知りました。10ヶ月前の旅路の整理…このタイミングなのは、「お前動けるのだから動けよ」と言われているのかもしれません。

※例によって写真整理が終わりしだいこの一行は消えます。しばしお待ちを…

熊野本宮大社

八咫烏舞い降りし蘇りの聖地…

諸説ありますが、熊野の神々の使いたる八咫烏を追いかけて本宮大社から速玉、玉置へと導かれた話に今回は乗ってみます。囁いてくれたあの方に感謝を。この後から、一気に色々と目眩く変わっていく小生の糧に関わる営み…「人生が変わる」という呟きはあながち間違えていないかもしれません。

心流紀行

早朝5時。辺りは暗く、静寂を思わせる時間。愛車のナビに本宮大社の住所を送信します。最近、便利になったのか、それとも不便になったのか、そんな疑問を感じる瞬間がこの時に訪れます。ナビ頼りにせずに、道を覚えることが大事ですが…文明に頼った段階で道覚えが悪くなっています*1。電気がない世界が訪れたら、小生、途端に迷子になる自信があります。

和歌山紀伊半島までは3時間と少し、8時前に辿り着けるかは道路事情に任せてとなります。大阪奈良間ではSAPAの利用機会が極端に無いので高速に乗る前に飲み物と食べ物、トイレを完了しておく必要があります。特に奈良では目的地に着くまでトイレは困ります。

出発準備を整えて、partnerが乗り込み、車は一路、近畿自動車道に向かいます。

日の出前の時間、電灯だけが照らす街は眠りにつけない物寂しさを孕んでいるのかもしれない。少し気を抜くと全く違った世界へと誘う魔物が潜んでいるようです。その魔物に出会うかどうかは…

ヘッドライトが街を起こすかのように家並みを照らし始め、エンジン音が心地よく静寂を破っていきます。無理やり起こされた街は、寝ぼけるように白い靄をこぼし、「焦るなよ」と語りかけてくれます。

フォグランプが照らすアスファルトは、良い梅雨も手伝い幻想的な世界の扉を何気に開けてくれます。見慣れた世界、何度も走っている道が別世界へと導いてくれているようです。そんな不可思議な感覚の中で、車を走らせていた理由は、本宮大社に辿り着いて初めてわかります。

とはいえ寝惚けて運転して行ける場所ではありません。何処かのワインディングで操作ミスして戻れない世界へと飛び込むことになるので…感覚に呑まれることになっても意識思考はしっかりさせて運転します。

熊野大社までの道のりは、正直な感想で言えばドライブにはお薦めです。霧深くなる時もあるので速度にだけ注意してましょう。

 

小生に訪れた最初の悪戯はナビが「案内を終了します」と言った直後です。熊野大社の鳥居は見えているのに駐車場の場所が判らなくなります。少しだけ立ち込める霧がそれです。本の3分前には霧など立っていなかったのに…と思いつつ、不意に現れた案内板に従って車を駐車場に入れます。

車を停めると霧は流されるように去っていきます。最初に考えることは『ここに停めてもいいのだろうか』ということです。何せ、鳥居は道路の反対側に見えているから。そして明らかに何処かの無料駐車場です。結果的に問題はなかったのですが…本宮大社だけが目的なら本宮大社前に停めることもできます。

小生がこの地に何故呼ばれたのかはよくわかりませんが、辿り着いたので楽しむことにします。ってこれを書いている時に、あれ?*2といいうところに辿り着きます。そのあれを求めて、もう一度参拝に行く気になっているのが…フットワーク軽く、ネットワークを広げていく生き方をしていきたいですね。

 

早朝の熊野本宮大社は幻想的な空間です。鳥居の向こうに立ち込める靄がその空気感を高めています。鳥居の奥に続く道に心無し息を呑むのは、ここにある邂逅のせいかもしれません。この場でスッと背を向ける人がいても驚かない…そんな重厚な空気の壁がありそうです。

神社仏閣の祭神は午前中の方が元気だと言われています。その元気すぎる時間にこういう感覚が生まれるのかもしれないと、この時にふと思い当たります。

鳥居の前で一礼を、一歩踏み出すと、フッと背を押される感覚が生まれます。

招かれているのか、引っ張られているのかは、その時の気持ちの有り様かもしれません。折角なので「招かれた」と足を進めて行くと、軽い足取りで進めます。ふと、拝殿から鳥居に繋がる真っ直ぐの道を空けていることに気付きます。

作法的には道の中心で見えない線を引いて右手側で登り、左側で下るそうです。

意識して参拝することはあまりありませんが、神々の通り道とされるそのライン、この時は空けておく必要があったのかもしれません。若干、冷たい風の通り道、「早くおいで」と言われているのかもしれません。

とはいえそれなりの距離があります。

真っ直ぐの道を、早朝の静寂を破る玉砂利を踏みしめる音。この音が祓いをしてくれています。心無し化身も心も軽くなって行くような気がします。

 

参道の途中の祓戸大神に参拝をしてから、手水舎で清めをしてから、拝殿へと向かいます。授与所で物色したい気持ちをここでは抑えて、拝殿へと。

ご社殿へと足を向けると壁に参拝順が記載されています。自由に回っても問題ありません。でも、折角記載してくれているのでその順路に乗っかって参拝します。

並んでいる通りではないので…その理由について知りたいと思いながら…

熊野大社は、案外すっきりと回れます。参拝だけなら十数分です。人が少ない目の時間帯に巡ることで新しい気付きがあるかもしれません。

 

小生は、この後、授与所によって扇子(八咫烏扇)を買います。

扇子は白と黒がありました。再生(誕生)と祓いの意味が込められているそうです。

生まれ変わる瞬間がここには用意されているのかもしれません。いままでの自分と別れ、新しい自分で生きていく。というところでしょうか。

空を見上げると一羽の黒い鴉が「こい」と言わんばかりに顔でクイとされます。3脚のカラスではなく普通の鴉ですが…partnerと顔を見合わせて「行きますか?」という感じに。

言葉のない、音のない、不思議な時間の訪れにふたりで顔を見合わせて苦笑いがこぼれます。

熊野本宮大社で扱われている授与品の中に白い扇子がないので、いまは扱っていないのかもしれません。

             (二社目 速玉神社に続く)

 

 

 

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*1:年齢が上がるにつれて記憶の定着が悪くなっている実感ですね

*2:次に熊野三社を巡るときにご紹介ということで