女神の福音~心流紀行

縁あって訪れた女神の社にまつわるetc...

【熊野三社巡り】2社目 速玉神社

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速玉神社

自然信仰を原点に神社神道へと展開していったとされる熊野信仰は、六世紀に仏教が伝わると早くから神仏習合が進み「熊野権現信仰」が全国に広まったそうです。「権現」とは、神が権り(仮)に姿を仏に変え、衆生を救うために現れるという意味で、過去・現在・未来を救済する霊場として熊野は広く人々に受け入れられたとされています。

よみがえりの聖地「熊野」の一角。東方浄瑠璃浄土と考えられる人生蘇りの熊野新宮、ここで巡り合うのは新しい自分か、それとも…

※例によって写真整理が整いましたらこの一行は消えます。写真はもう少しお待ちください。

心流紀行

熊野本宮大社から西に車を走らせること約1時間。国道168号線をひたすら走ります(途中311号線に変わりますが…いつのまにか168号に戻ります)。八咫烏が案内した聖地を巡るように、熊野速玉大社へと向かいます。熊野本宮大社ものどかな印象がありますが、道中は自然豊か過ぎて走るのが不安になっていきます。熊野川に見守られるようにして走っていく道中には幾つかの神社がみえます。目的が熊野三山巡りなら少し寄り道をするのも有りです。ただ今回は、八咫烏の導きを主題としたものなので、時間的制約が発生して…きっと、もともとの三社巡りでは、他の神社も巡りながらだと…午前中に三社巡ります(目標)。

流れていく街並みはぽつぽつという感じなので…のんびりドライブです。まだ早朝の域(本宮大社を出たのが9時過ぎです)なので、ストレスのない運転ができます。時期的に窓を少し開けて走っていくのも有りです。が、寒いので小生は…

山を眺めながら走ると距離感が狂うのが難点です。小生だけかもしれませんが…何はともあれ、予定時間より少し早い目に速玉神社に到着します。時間的に靄も出ていないのでスムーズに駐車場に車を入れることができます。

 

速玉大社へは朱塗りの小さな橋を渡ることから始まります。神が宿る神域と人間が住む俗界との結界に渡る橋…それを渡ってから鳥居の前で一礼をします。この辺は意識しておくのが良いと昔々に教えられました。いまは習慣付いています。

こちらは砂利道ではなく石畳。整備されているという点では本宮大社よりも近代的な印象があります。進むとすぐ右側に勝利を導く神を祀る八咫烏神社と、腕力・筋力を象徴する神を祀る手力男神社がありますのでご挨拶を。ここでしっかり参拝されるかとと挨拶だけで済まして帰りに参拝される方がいます。

小生はその日の気分で先か後になりますが、八咫烏神社というだけに今回の旅路のお礼をしてから本殿へと向かうことにします。

大禮殿の手前に聳え立つ樹齢千年の御神木「梛」。道中安全を祈り、この葉を懐に納めてお参りすることが古来の習わしということですが、この時は、知らなかったので葉をいただいてくることはできませんでした。

授与所で葉を象ったお守りがあるので気付くべきでしたね。次回は(苦笑)

本殿までの道は石畳の上を歩いていきます。森林浴をしている時間は心地よく過ぎていきます。時折、疲れを癒すかのように風が危機の隙間から吹きます。柔らかなあたりと、緑の独特の香りが「よくきたな」と言ってくれているように感じます。

少し進むと神木がその存在感を示してくれます。樹齢1000年平清盛が植えたとされているなぎの樹です。ふと足を止めますが、ここは先に本殿へと急ぎます。

参拝の方法は色々ですが、小生は行き帰りの中で巡れるのであれば、本殿(祭神)からご挨拶をして、他の殿へと巡っていきます。【伊勢神宮のように一方通行的に回る場合は宮や殿に着くたびに参拝します。その日に再び戻らないこともあるので】

軽く会釈程度で挨拶だけを残して、小生は本殿へと。

すぐに神門に辿り着きます。一際太いしめ縄が目につきます。神域との境界線を示すものです。この先からは石畳ではなく、玉砂利が敷き詰められています。何よりも鳥居と違う空気感は貫禄という表現でいいのかは別にしてどっしりとした感じで界を分けています。

少し距離を取るように眺めると、自然との調和の美しさも目につきます。計算された設計家といえば、きっと違うのでしょう。長い歳月の中で自然と調和をして言ったのだと思います。

本宮大社とは違う神々しさがここ新宮にはあります。

門を抜け拝殿を望むと左右対称とした作りがどんと鎮座しています。このどっしり感がなんともいえない味になっています。そして門を抜けると一際目を引くのが本殿の背後にある樹々です。神門で感じる調和とは別の調和があります。こちらは本殿の一部と言っても問題がないような気がします。

拝殿で挨拶を、社務所によって朱印を頂くのはいつもの流れのままに。

不思議な神域です。

調和のあり方を感じさせられます。

俯瞰的に見る世界に存在する調和は、個々を見ると歪な部分を見つけることがあります。小さな部分での調和を広げてい機、大きな状態で見てもやはり歪なものが存在します。左右対称的にすることで一定の調和は生まれますが、そこには作為的な美しさがどうしても盛り込まれます。それがこの新宮大社では感じられません。

最初に作った人にはきっとその意図はなかったのでしょう。

過ぎゆく時間の中で、自然が人の作った造形に彩りを添えれくれたように感じます。

それは人も同じかもしれません。多様性や個性と言う言葉がいまは普通に使われています。でも、その言葉自体が使われること自体が社会の調和からは外れているのだと感じます。この言葉が使われなくなっていく時の刻みの中でそれが自然だとなる日が来るのでしょう。

それまでの間、賛否両論が存在し続けるのだと思います。

そういう世界を目指せよ、とふと言われているように感じます。その世界の実現に寄与できる場所へと促されていくようです。この地への道を教えてくれた人は、それを意図したかは定かではありませんが、その人との仕事は自然なあり方へと向かっていっているように感じます。

本殿に挨拶をしてきた参道をもどり、なぎの樹にしっかりと参拝を…して、次の地に…

 

戻っていくと橋の欄干に烏が止まっています。鳥居をくぐり、振り返り挨拶を終えた小生たちを眺めるような雰囲気で。近づけば、とんとんとジャンプして逃げていき、橋に踏み込んだ小生から逃げるように飛んでいきます。

この烏が案内でしょうか(笑)

            【三社目 玉置神社に続く】

 

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