女神の福音~心流紀行

縁あって訪れた女神の社にまつわるetc...

【和歌山県】万年山 慈尊院

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人の出会いは不思議なものです。特に命に係わる出会いは大きな縁を齎してくれます。その縁は、いまも続く不思議な時間へと繋がっていきます。

その方との出会いはpartnerの会社の部下として入ってきたことがきっかけです。彼女の能力、行動力、人的縁を考えれば、小さな社会福祉法人へと就職する必要はなかったかもしれません。加えて、引く手もあったにも拘らず彼女はpartnerの下で働くことを選択します。彼女曰く、お金儲けに躍起になるのではなく支援するべき相手をきちんと見て考え行動することに意味を感じた、と言ってくれたそうです。

彼女の人生の旅は間もなく終えることになります。その瞬間まで、そのぎりぎりまで現場で一緒に過ごしたいと。ただ世はコロナ禍。様々な問題が普通に起きている中での出会いです。

小生は、旅の後処理を手伝うことで関係を結ぶことになります。様々な課題を丁寧に、様々な思いを丁寧に紐解くように、彼女の器の大きさと、彼女が結んでくれた出会いに感謝しかありません。

命の終焉は、実に儚く、寂しく終わります。本当に短い時間でしたが、一緒に働いた人だと、駆け付けてくれた雇用者にも感謝しかありません。もちろんお金にならないと現れない人もいました…それはそれで、因果応報の輪の中にいるのだろうといまは感じます。そういう意味も含め、小生がブログを書き始めることができたのかもしれません。

その後、急なことに集まれなかった方々に対して、お別れの会が開かれます。その打ち合わせのひと時に足を延ばした2023年3月13日の旅です。

万年山 慈尊院

弘法大師高野山開創に際し、この地に表玄関として設けたとされるのがここ慈尊院。その後、弘法大師の母公が訪ねてきた時に当時の高野山が女人禁制だったためここで暮らすことなった。空海の母がこの弥勒仏を熱心に信仰していたため、入滅(死去)して本尊に化身したという信仰が盛んになり、慈尊院は女人結縁の寺として知られるようになったそうです。女人の高野山参りはここ、ということで「女人高野」とも呼ばれています。

心流紀行

縁というのは不思議なものです。小生、高野山には仕事を含め何度かお邪魔しています。partnerと知り合った頃、奥の院に行ってみたいと言われ向かいましたが辿り着くことができないという現象に見舞われます。ナビはしっかりと起動しているのに、全く持って奥の院に辿り着くことができませんでした。不思議な体験です。神社仏閣は、呼ばれていなければ辿り着くことが叶わない。そんな言葉を教えていただいたのはその頃です。それが外国の人に観光ガイドをする方と一緒に訪れることになるとは…

打ち合わせに行ったのは和歌山県。ホテルで一泊をして翌朝に向かうというプランでの行動は、お酒を楽しみたい!という諸先輩方の提案からです。と、いうことで向かってみることになったのが近くにある女人高野と呼ばれる場所でした。

小生の薄い知識の中でも理解しているのは、女性の入山を禁止ているという時代があったこと。高野山はその戒律が厳しかったこと、です。

女人高野で有名なのは、室生寺慈尊院でしょうか。奈良県和歌山県の女人高野で、参拝が許されるのが此処までという時代の名残ですね。時代の移り変わりの中で、そういう制限はなくなっていますが…色々な意味で、社会もジェンダーレスが受け入れられると良いですね。言葉だけではなく、心の垣根を無くす感じで…

それはさておき、今回は和歌山県にいるので慈尊院へと向かいます。

 

慈尊院は、駐車をするのに少しばかり気を遣う駐車場です。バス用のスペースに乗用車が停まっていたこともありますが、広さはなく、どうしても早い者勝ち的な空間になっています。当たり前ですが先客がいるということは自分たちよりも早く帰るだろうことを考慮して停める必要があります。

階段を上がり、境内に入ると向かって左前に社務所が見えます。こちらに「ご利益マップ」というのがあります。これが境内の案内図になります。ちなみにですが、この社務所がある場所が拝堂です。

拝殿の前に在るのが御廟になります。ここでは他で見れない光景があります。絵馬についた乳房です。ということで、こちらの御廟に祀られているのは弥勒菩薩になります。

みろく石というモノがありますので、触って弥勒菩薩との縁を結ぶという儀式を…

 

小生が向かうべきは、拝殿の右後ろ辺りに鎮座する方です。

弁財天の社があります。そちらでのご挨拶を忘れずに(笑)と定番になっていますが、辨財天さんゆかりの場所に辿り着いています。神仏習合のときにお稲荷さんとともに鎮座したそうです。

この弁財天堂の前には石が置かれています。これがおみくじとか…占いたいものを頭に浮かべてこの石を持ち上げるだけです。軽いほど早く夢がかなうということですが…さて、その結果は…

そのまま順路?のように進むと水掛龍がいます。水掛龍に水をかけて祈願です。

 

この地に導いてくれたのは縁です。知り合い、話を重ね、自分たちにできる様々なモノを探していた日々。ひとつの節目のために企画された時間。

その尊さに感動すら覚えます。彼女の自由に見える行動はしっかりと周りとの調和と気遣いがされていてのものだったのだと感じます。彼女に触れて、人生の転換期を迎えた人がいるように、もしかしたら、彼女との出会いが小生に転換期を伝えてくれたのかもしれません。

小生は深いかかわりを持っていませんが、交わした言葉、向けていただいた言葉に「頑張ってみようかな」と思ったことを思い出します。

「おつかれさま」と祈りながら、その魂が空から小生たちの行く末を、映画を楽しむように見ていてくれたら嬉しいと思います。

※これ実践するだけで寛容な心の大切さに気付けます

余談ですが…

この頃、小生の人生は大きく動き始めていました。正確には、そういう風に周りは見ていたようです。すでに小生のセカンドライフは始まり、些少なことに時間を費やす気が全く持てていない時間でした。

小生もpartnerもどこ吹く風的に、しれっと起きてくることを対処していくだけでしたが、そう見えないのか、必死になって嘘を並べる人を単に可哀想な人間として眺めていたようです。どうもそれはそれでむかつくらしいので困っているそぶりを見せることをお勧めしますが…

自分の生き方を探しているだけで、人生は大いそがしですね(笑)

※忙しいを使っていないのは、心を無くして行動するようなことはないので…という意味を込めて…

 

 

☆★☆最後までお付き合いいただきました皆様に☆★☆

最後までお付き合いいただき誠にありがとうございます。

感謝しております。踊った文字たちも喜んでいると思います。

読者が増えると小生が喜びます。

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