人は何も持たずに光の下へと生を受け、様々なモノをもって逝きます。その最初と最後に携われることは人生の中で何度あるのでしょう。人との縁の中で感慨深い時を一緒させてくれる呼び寄せに感謝します。
九度山
真田幸村ゆかりの地です。偲ぶ会に参加した面々がこの地へと誘われるのも、不思議な縁に寄せられてのことなのかもしれません。
目的地は幸村庵です。
ぶらりと心流紀行
周りとの関わりを絶っていない限り、様々なイベントのお世話係というものに当たることがあります。小生は自ら進んで参加するタイプ(若干人見知りなので)ではないのですが、声をかけられれば断ることはあまりありません。
自分から縁を紡いでいくことは得意としていませんが、誰かが繋いでくださった縁を紡いでいくことは大切にしています。今回の偲ぶ会はそういうものになります。不思議なもので手伝う面々の多くが故人との繋がりがありませんでした。
人は何かの必然で知り合います。それを偶々や偶然と言う人もいます。小生は、運命論者ではありませんが、人との出会いには理由があると考えています。善い出会いもあれば悪い出会いもあります。その瞬間だけの出会いもあります。それでも、そのすべては必然から生まれるものだと最近感じるようになりました。
自分にとって必要な時もあれば、相手にとって必要な時もあります。いまではなく、未来でその経験が必要な時もあります。出会った瞬間に、「いつ」は判らなくても時の経過の中で答えは与えられるようになっているようです。
故人を中心に多くの人が集まりました。著名人もまざり、世界で活躍している人もいます。政治家という方もコメントで参加をしてくれます。彼女が紡ぎ続けた時間が終焉のときを演出します。彼女の次の世界への旅立ちが楽しいものであると、列席者の送り言葉に何故か確信が持てるのが不思議です。
彼女の繋がりは、彼女の優しさと強さが紡いでいたようです。彼女との出会いに、彼女の行動力に、人生の岐路で背を押された人もいれば、へたりこんだ時にお尻を叩かれるように振るい立たせられた人もいます。
言葉の数々に、早い別れに困惑し、怒っている人もいます。様々な感情が入り混じる中で、彼女のことを悼む気持ちが、その空間を優しく包み込んでいくようです。彼女の知り合いはあちらこちらにいる関係で、準備した日に集うことが叶わなかった方もいますが、届いた手紙が、彼女の魅力を伝えてくれます。
人の死は2度巡ってきます。肉体の死と魂の死といわれています。
漠然とこの言葉を知っていましたが、実感することがありました。そのひとつは、とある音楽家との出会いです。彼の言葉は軽く聞こえますが、思料深い優しさに包まれた魔力があります。その彼の楽曲の中に『魂は空に魄は大地に(だった思います)』というCDがあります。それを聞いたときに…命の尊さが染み渡る気がします。
そして偲ぶ会に参加すると時折感じます。個人との別れを惜しむ人もいれば、簡単に切り替える人もいます。後者の方は忘れることはなくても思い出すこともないように思います。それは忘れると同意なのだと考えてしまいます。
人の思いはそれぞれ。誰かがこうするべきだと言うべきものではありません。だからこそ、その人の考えのもとで何ら問題はありません。ただ、小生が個人的に寂しいと感じるだけです。
小生は故人の終焉の時間の中で少しだけ一緒しただけですが、彼女の縁が新しい縁を繋いでくれました。そういう意味では、彼女のことを忘れない側の一人になるでしょう。
そして、忘れないだろう人たちと一緒の時を刻みます。不思議な縁に感謝しかありません。と、いうわけで、偲ぶ会の後実務のために和歌山へと。
九度山へと向かい車を公営駐車場に停めます。
我先に急ぐ人がいるのは前回と同じですが、今回は店は開いています。時間的にのんびりとするゆとりはありませんが、一緒する方々がのんびりモードなので車をきちんと止めてから幸村庵に向かいます。
お店の駐車場も一杯です。店前で待機している人も…そして、お店の人が順番待ちのボードに紙を貼ろうとしています。縁というのは、時には残酷なものです。あと3歩…というところで紙が貼られてしまいます。
が、「どうぞ」とその店員さんが声をかけてくれます。「最後の組です」とペンを渡してくれます。
というわけで、幸村庵での食事は成立です。
古民家を改装した風情ある趣に目が惹かれます。座敷ではなくテーブル席になっているので食事はしやすいですが、畳の上というのが少しばかり気が引けます。席にもよりますが、窓から見える景色も料理の演出といえます。
折角なので小生は、幸村御膳を頂くことにしました。28そばというものらしいですがのど越しよいおいしいお蕎麦でした。
食事の時にする話かどうかは別にして、故人の凄さが話題に上がります。生命についてふと考える時間になったのは真田幸村ゆかりの地に辿り着いたからかもしれません。きっと、連れさんたちは、故人のことを忘れることもなく、事ある毎に話題にするでしょう。「そういえば桜が咲いたよ」程度の当たり前のような会話で始めながら。
命の尊さをふと感じているのは、小生の中で燻っていた火種のようなものが、いま世界を騒がせる戦争に感化され、具現化されたのかもしれません。プチ旅ブログの中で語るには重い話題のような気もします。
どちらにせよ、あの頃に感じ、準備されていたものがいまだから送り出せるのも、タイミングという縁がくれたギフトのような気がします。
向き合うべき生命に対して、真摯にその存在を尊むこともたまには必要なのかもしれません。少なくともpartnerにとって尊い魂であるために精進していこうと考えます。
【2023年4月2日のプチ旅です】
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