女神の福音~心流紀行

縁あって訪れた女神の社にまつわるetc...

【福井県】弁財天白龍王大権現

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福井県に行ってみよう!

と考えたのは毛谷黒龍神社を偶然見つけたからです。

目的地は何かの導きのままに…その場所で他に行けるような場所を調査するということで見つけたのがこの場所になります。何となく黒龍があるなら白龍はということで調べてみるとあったりします。…先に黒龍神社を調べていたら、舟橋黒龍神社にいっていた自信があります。

※ 例によって例の如く写真は後で足し込みます。(写真UP後この一行は消えます)

 

1 経路

毛谷黒龍神社からは車で20分程度の距離です。のどかな県道をを走っていきます。市街地から一気にのどかな道に…そして…通ってもいいの?という不安が過っていきます。ナビを設定すると道なき道を行く経路です。

小生は正直、不安になっていきながら…パートナーがいなかったら引き返してたどり着かなかったかも…国道158号線から外れていきます。

どこにたどり着くのか…そんな不安を抱く頃に鳥居が見えます。

鳥居を超えると広い駐車場になっています。どこに止めてもよいという感じです。

無事に地元に帰還してから確認すると雪化粧の弁財天白龍王大権現もいい感じです。ただし、車で走ってきた経路からするととても危険です。何せ車が一台しか通れないところもあります。一本道なのですが、両方向通行。すれ違えずに脱輪する車もあるかも。

と、そんなことを思ったりします。

2 由緒かな?

弁財天白龍王大権現の創建は奈良時代養老元年(717)に泰澄大師が開基した『平泉寺白山神社』の末寺の境内に祀られていたと伝えられているそうです。

戦国時代の天正2年(1574)一向一揆の兵火により『平泉寺白山神社』が大きな被害を受け、弁財天も焼失したとか。

戦後、大阪の木材商浅井氏に夢のお告げがあり発願再興され、商売繁盛の御利益があると全国から多くの参拝客が訪れているそうです。

境内の磐座(霊石)には御神体の白蛇が棲んでいるとの謂れもあり、運が良ければお目にかかかれるかも!

なんとこれを書いているこの瞬間までパワースポットであるとは知りませんでした。どおりで駐車場が大きいわけです。

地元では「へびがみさん」と呼ばれる商売繁盛のパワースポットです。

3 御神体の話

御神体は岩山にある大きな岩の中にいる白蛇様。白蛇様から地元では、へびがみさんと呼ばれ、実際に見えた!という人もかなり多くいるそうです。小生知らなかったので、このご神体はしっかりとみれませんでした。

4 二人だけの参拝時間

全国からたくさんの人が来るというへびかみさんですが、小生がたどり着いた日は誰もいないのです。宮司さんもいるわけではなく、社務所は休憩所を兼ねてくれていますが、性善説で運営されています。

人としての在り方が問われています。

せっかくなので二人なのでのんびりと回ります。

ひとつひとつの社をめぐり、結構、大変な道ですがなんとも味のある場所です。

5 調べてみました

この神社、祭神は、市杵島姫命

知っている人も多いですが神仏習合の形ともされ、いわゆる弁財天です。有名所で言えば、京都の松尾神社や広島の厳島神社などで祀られています。そういうわけで「弁財天」と冠がついている、ということですかね。

では、白龍は…と素直な疑問…というよりは素直に受け取れば、こちらは蛇神様からということでは。蛇神様の代表的なのは白い蛇。龍へと進化?するとか。そもそもこの地区もは白蛇信仰が根強くあるそうです。というわけで、弁財天と白蛇転じた白龍が冠名になったというのが…しっくりくる理由でしょうか。

調べる中で出てきたのが、こちらの別名は『(越前)竹原弁財天』と。

6 私的な結論ですが…

素直にもぅ一度行ってみようかな…

黒龍神社を巡ってから再度こちらに

そんな気持ちがふつふつと湧き上がってきます。

powerspotというよりは白い蛇に会いたいです(笑)

この白蛇が神格化した姿が宇賀神将。辨財天の使いとされる白龍王ということになると思います。この辺の記述は見つけられていないので憶測ですが…次の機会に再確認してきたいと思います。

7 余談ですが…

仏教的な知識として、権現様とは…仏さんや菩薩さんが神様として現れることを指すそうです。例えば有名なところだと、熊野三所権現阿弥陀仏薬師如来、十一面観音の仮の姿と考えられていたそうで、神も仏も入り乱れている感じでしょうか。

この考え方は、日本に仏教が広まった平安時代のころに信仰されていたそうですが、平安末期になると、すべての神々は仏さまの化身であると解釈され、浄楽寺の権現さまは十一面観音が「本地仏」、権現様として「垂迹(仮の姿で現れる)」し人々を救うと信仰されるようになったとか。

ライフワーク的になっている弁財天を知ろうにも絡む話になりますが、明治初年に神仏分離令が出るまでの日本は、神と仏、神社とお寺の区別はあまり厳密ではなかったということらしいです。これは、そのままインドから旅してきた弁財天にも当てはめることができるかと…

神社仏閣の区別があまりされていなかった時代、様々なところに祭られるようになった弁財天。お寺でも神社でも…そして神仏習合としての整理でよいのかな?を経て、様々な姿へとなっていくわけですが…お寺にも神社にも『弁財天』の名前でというよりは冠的な物が先行して日本神話の神々がその役どころ、信仰の依り代として、弁財天という肩書を与えられている風にとらえるといろいろとしっくりくる気がします。

 

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