女神の福音~心流紀行

縁あって訪れた女神の社にまつわるetc...

【日本五大辨財天巡り】1社目 竹生島・宝厳寺 3

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人の思い込みとは如何ともしがたいものです。見たいものだけを見たいように見て、自分の誤っている行為を正当化するためにやっきになって行う。世のさもしい愚かすぎる行動がニュースまでも賑やかにしている。

自分の行動に自信を持つことは大切だと感じる。だからこそ、思い込む前に再確認することが大事になる。報告連絡相談は、日常的にも大切なものだと、このブログを書いていてつくづく感じたりします。

これまでは恋人時間中心の行動時間なので、多少のわがまま…団体行動を好んでしていないせいもありますが…仕事で団体行動だけに、プライベートはゆとり時間の中でのんびりと過ごしたい…とゆるゆるな計画行動。

それはそれで多少のトラブルはイベント勃発で楽しんできましたが(笑)

情報は補完と確認が本当に必要です。前二回でお気付きだと思いますが、小生の思い込みで完全に竹生島にあるのは宝厳寺のみになっていました。神仏習合ということで弁財天が奉られているとはいえ…

知れば知るほど面白い辨財天の世界。深めつつ絡んでいくべきですね。

※ 例によって例の如く写真は後で足し込みます。(写真UP後この一行は消えます)

心流紀行

宝厳寺本殿を詣ると下りになります。昇り165段。下りについては記載されていなかった気が…知っている人がいたら教えてください(笑)。それはさておき、宝物殿から下りの階段へと向かい、眺める景色は、水面が陽の光を反射してきれいです。季節によってはすごく暑く、汗が滴るような日差しの強い階段です。幸いなことに心地よい日差しの季節に来ています。

そういえば、神社仏閣というのは、自分が望むだけでは辿り着けないとか。逆に自分が望まなくてもたどり着くことも。

不思議なもので、そこに行きたいのに、下調べもしっかりとしているのに、そこに辿り着くことができない。そういう話を小生も聞くことがあります。小生の周りには、この竹生島にたどり着けない人、何人かいます。時期が来ればたどり着けるのでしょうが…

その時期って誰が決めるのでしょうね。

 ※ この本にその話が入っているわけではありませんよ…他にも不思議話あるんだ~という程度に

爽やかな風を頬に受けながら階段を下っていくと唐門が見えてきます。すでに兄貴分夫婦が着いています。その仲むつましい様子に見ている方がほっこりとします。熱くならなくてもよい季節ですが…

重要文化財である唐門のことを調べると、宝厳寺が出てきます。

唐門の名前の由来は、門に施された巨大な唐破風の切妻です。 唐破風はリカーブボウにも似た、反り 返ったアーチが特徴です。 この様式は高評価されるだけではなく、高い階級を示しているものです。

宝厳寺の唐門は、京都東山の豊国廟の極楽門を移築したものです。国宝・重文に指定されている唐門と観音堂には豪華絢爛な桃山様式の美しい彫刻や鮮やかな文様が今も残され、見る者を魅了します。ただ、2013年度より実施された、『唐門』『観音堂』『舟廊下(渡廊)』の檜皮屋根の全面葺き替え、彩色・漆塗りの塗り直し、 及び飾り金具の鍍金メッキ仕上げ等の修復保存事業のおかげで奇麗になりましたが、景色との一体感を示す古き威厳は少しの間休憩となります。

古来より存在するものの色合いを戻すということは、時間が刻んだ劣化と風化を消すことにもなり、そこにあった味というものが薄れたり消えたりすることもしばしばです。もちろん建物時代が朽ちていくのはいただけませんが、風光明媚な景色の一つとして建物は存在しているほうが個人的には好きです。

ここの観音堂は、西国三十三か所の一つです。霊場巡りをするしないはおいておくとして、観音様には是非会いに行ってほしいです。

小生が最初にここに訪れたのは西国三十三か所巡りの時です。当時は、ただのスタンプラリー的でした。一日どれだけ巡れるのかがメーンで風情を楽しむということはありませんでした。そんなこともふと思い出します。

朱印めぐりという流行がになる前でした。車を走らせる理由が欲しくて、というよりも誰かと過ごす時間のために…かもしれません。

唐門を前に足を止めます。振り返るとパートナーが一つ手前の踊りで足を止め、本堂の方を見上げています(見えませんけど…)。

この島には色々な思い出があります。何かをしたわけではありませんが…

最初に一緒に島を訪れたのは、彼女と知り合って間もなくです。恋人未満の時代。二人で鳥居をくぐらない様に気を付けていました。鳥居を見つける度に少しだけ距離をおいた参拝。

その後は、息子が二人のところに来た頃。婚姻を果たすかどうか、彼女には様々な葛藤がありました。生活、夢、未来…考えることは多くありました。その一つ一つに向き合い、丁寧に答えを出した結果がいまに繋がっています。

意識してきたわけではありませんが、この地には何かがあれば訪れています。虫の知らせというか、行こう!とふと思い立ちきていました。

少し間があっての再来。いま二人の形は、パートナー。紆余曲折な時間は、様々な功名心と嫉妬にさらされることで、心が疲弊していくのを避けるための選択でした。これを書いているいまは夫婦に戻っているわけですが…

本当に色々なことがあり、色々な時を見守ってもらったようです。ことのひとつひとついに、きっと意味があります。この地で、足を止め、走馬灯のように巡っていく記憶には気付くべき何かが込められているそうです。

彼女が小生に気付き、階段を下ってくる頃、「まだ?」と兄貴分たちが唐門から迎えて食えてくれます。新しい時間の刻み、それが此処から始まっているのだと感じます。

少し照れ臭くもあるのであえて口にはしませんが、兄貴分夫妻が仲人のように船廊下を案内してくれます。

夫婦の在り方として、人の在り方として、先を歩く諸兄に感謝を。

間もなく、宝厳寺の区画が終わります。

 

 

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