女神の福音~心流紀行

縁あって訪れた女神の社にまつわるetc...

【奈良県】丹生川上神社

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小生、神社巡りで計画的なときは午前中に巡ります。ということで、吉野の巡りはほぼ強行です。兄貴分夫妻にも伝えてあったのでのんびりとみるという時間はありませんでした(苦笑)昼からはゆっくり過ぎるほどのんびりですけどね。

間に合わない場合は、急にゆっくりになります(笑)この日は4社巡るので時間はタイトです。とはいえ…やる前から諦めるようなことは面白くもない…というか、行動する人の中で一人でも「できない」と思っていなければできるものです。

概ね運転をする小生の引き付ける力が関係しているかもしれませんね。

この辺のこともようやく気が付いた部分ですね。人は計画を意識的に成立させることができる魔法を持っているのです。気付くか気付かないかは、それがぎりぎりで叶うか叶わないかにかかっているのかもしれませんね。

調べてみると丹生川上神社三社としては、後で参加した感じです。この神社も歴史に翻弄されたのは間違いないのでしょう。参加した時代はどうだったか知りませんが、いまは緩く一緒に色々なことをされているようです。

小生は参拝に合わせて情報を整理するタイプではないので、後で情報補完をしますが、このblogとの出会いには正直感謝です。blogに残しておこうと感じていなければ、調べていなかったことが次々に出てきます。

機会があれば、丹生川上三社だけではなく、丹生川上神社分社、丹生川神社、大和神社等も巡ってみようと考えます。

※例によって写真整理が間に合っていません。写真UPでこの一行消えます。

丹生川上神社

祭神は罔象女神。日本における代表的な水の神さま。

古くは「雨師明神」と称され、江戸時代からは「蟻通明神」とも称された。

大正以降、吉野郡川上村の丹生川上神社上社・同下市町の丹生川上神社下社に対して「丹生川上神社中社」とも称されるようになったが、これは上下2社が既に存在したために、これを「中」としたもので、位置関係や社格の上下を表すものではない。

六国史*1では、「丹生川(河)上神」と地名を以て記され、具体的な神名を表すものがないのが特徴。古来朝野の祈止雨祈願がしばしば行われ、雨を司る水神であったことでで、記紀神話にみえる罔象女神や龗神に充てるようになりました。

平安時代初め頃から「雨師神」とも称されるように… 雨師とは風伯と並ぶ古代中国の雨乞いの神で、これは唐風文化への傾倒による神名です。祈雨祈願の際には黒馬が、止雨の時には白馬(青馬)が奉献される例であり、馬を水神乃至はそれと密接な動物と見る観念に基づくものです。馬の色は、雨雲と黒、晴天と白という観念連合に基づく類感呪術ともいわれています。

総じて『水神宗社』となっているようです。

心流紀行

奈良県吉野郡を流れる吉野川。その河川の近くを走っているはずですが景色が山に変わるころ、川の名前も高見川に変わります。所々に点在する家の存在に何処か和みながら丹生川上神社へと車を走らせます。季節がら少し窓を開けて走りたい気分になりますが、フロントガラスに飛び込んでくる様々なモノをみているととても開放は危険です(笑)

流れていく景色に心和むことは間違いがないのでドライブがてら参拝に行かれるのも悪くない理由です。

向かう丹生川上神社ですが、小生が知った範囲では丹生川上神社三社の中社にあたる場所です。元々は、上社に縁ができ、奈良県に通うようになりました。縁とは数奇なるもので、結ばれないと出会う機会というのは生まれません。

良きも悪きもその人にとって必要なるactionだと教えてくれた人がいます。学びとることができるかは、その時の自信のレベルによるものだ、とも。人との出会いではよくわかりませんが、嫌な出来事が周期的に回ってくるときに学べていなかったことに気付きました。一度対処をきちんとするとその手の出来事は巡って来ないもののようです。もしくは巡ってきてもただ当たり前に対処して記憶に残らないだけかもしれませんが…

人との出会いは、良氣ものだと思います。誰を介しての出会いならば、良氣人を介してならば良氣出会いです。そこに悪意や嫉妬を混ぜて知り合う人がいます。そういう人は紛れもなく悪し気の存在です。きっと、敏感な人なら、その人との付き合いは表面だけ、それ以上は深入りも開いてもしないでしょう。まれにしつこく絡んでくる人もいるかもしれませんが相手にしなければ問題ありません。

相手とは、真摯に自分の時間を使って付き合うことですが、適度にあしらうことで相手の満足を引き出せばそれ以上の絡みもなくなるでしょう。その場合は、きっとあしらいを学んでいるのでしょう。時と場所と相手が変わることがあってもこの学びは自身にとって大切なものになります。

そんな事を思いながら車は自然の中を走っていきます。ドラレコの映像をUPしたらCMのように格好良い景色になるでしょうかね(笑)

山道を抜けながら、兄貴分夫婦と賑やかに会話をしながら神社に向かっていきます。

河川の傍に近付きフロントガラスを叩く存在も減ったので少し窓を開けると水の音が流れてきます。河川の音というのは心優しさを感じます。メロディーを刻むような穏やかな誘いの中で、駐車場へと車を入れます。

※夏場は川遊びをする人たちも車を止めているので、神社の方が駆け寄ってくれます。指示に従って車を止める必要があります。

余談になりますが…

『相手にしない』とはその人の『死』に繋がるそうです。別に殺すわけではありませんが…人の死は二度訪れると聞かれたことがあるかもしれません。肉体的な死と記憶的な死です。ここで起きるのは記憶的な死です。が、これがなかなかのものだそうです。見る人が見れば、その人の存在は影が薄くなるそうです。

ということは、悪意に対して、敵対しても、その人の存在をかっこなるものにするだけです。必要で対処しなければいけなくても、相手にせずに事象だけを処理していけば、相手のことを思う隙間もないので、その人物は事柄の登場物になり終われば記憶からも消える物になります。

嫌な思いをすれば…生物であることを消去して、物として扱うということですが、ことが終わればその人がかかわってくることが無いのですっきりとします。

        (【奈良県丹生川上神社 2に続く)

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*1:古代日本の律令国家が編纂した6つの一連の正史です。一部に紀伝体的要素をとりいれつつ編年体で記されています。