今回紹介するのは黒龍神社です。日本全国に黒龍を関する神社は数多くあります。その中で小生が最初に紹介するのは福井県にあるこちらになります。ただ、情報量は多いので数回に分けての紹介になります。
写真の整理が間に合っていませんので、最初のUPの時には写真が無い事があります。後でしっかりと足し込んでいきます。
※神社仏閣の紹介については3,000文字以下に区切るようにします。
補足情報があれば気軽にコメントください。神社の記事が重なる方は気軽に(相互)リンクしてください。小心者につきリンクされているのを確認してからつなげるかと思いますが…
毛谷黒龍神社
御神徳
地元で「くろたつさん」と呼ばれ親しまれている毛谷黒龍神社。
黒龍大神は、人間生活の根源である水を司られ、九頭竜川の守護神として創建されました。日本古来の四大明神の一つとされるお社であり、降魔調伏のパワーを授けてくれる神様です。厄除けや生命力の向上、子授け・安産祈願や商売繁盛の神社とされています。※毛谷黒門神社御神徳より
☆ 四大明神って
日本古来の四大明神は、東の常陸国に鹿島大明神・南の紀伊国に熊野大権現・西の安芸国に厳島大明神・北の越前国に黒龍大明神と、されています。
実際にどこ?という感じになる方もいると思うので(小生はそのタイプです)場所も
☆彡 その1東
常陸国(ひたちのくに)は現在の茨城県を指します。【詳しくは『まいぷれ』で】
鹿嶋大明神については実際に現地に行ってみないと解らないことの方が多そうです。紹介されている情報から集められた範囲になりますが…候補に挙がる場所は二か所。鹿島神社と鹿島大神宮。どちらも祭神は武甕槌大神という名前の神様。
名前が同じということは役割が同じということですね。
どちらの神社にも行ったことが無いのではっきりとしたことは言えませんが、写真を観るかぎりでは、古風の感じの素敵な場所です。こういう場所で余生を過ごすというのには憧れますが…。パートナ曰く「君には絶対無理」だそうです(苦笑)
ここは辿り着いてから詳しく紹介ということで…ご容赦いただくとして
資料によれば、両神宮とも繋がりがありそうです。
名前を冠した明神か…それとも神社がそれなのかは判りませんが、どちらも参れる距離ですので「?」の場合は両方に行くという選択ですね。
☆彡 その2 南
紀伊国に熊野大権現
熊野大権現については素直に熊野本宮大社のサイトで(笑)
こちらには何度か訪れていますのでその時の情報は別の機会で。
荘厳なる空気感は早朝に行くのがお薦めです。こちらは有名な場所ですので説明は割愛で。
☆彡 その3 西
安芸国は、勝手に広島県と思い込んでいました。山陽道に属する芸州というところです。広島県の西部に位置する一部ということになります。
…ここで勝手な疑問が生じるのは「安芸の宮島」こちらには何度なく訪れています。このblogのメーンテーマでもあるので、ちょこちょこ紹介することになるかと…
広島県広島市の西側に位置するというには、少し無理があるような気もする位置関係ですが、小生と同じで広島県全体が安芸と思われるようになったのかも…
そして…厳島大明神ですが…
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☆彡 その4 北
越前国は、敦賀市以北の地域のことだそうです。福井県の一部ということになります。
北陸道七国のうち唯一の大国。軍事・交通上の要地だったのですが、小生の感覚ではのどかなゆったりとした県という感じです。
www.kurotatu-jinja.comこちらも参考に。
さて…毛谷黒龍神社ではないところにあたりました。
こちらの神社には訪れていないので参拝にいってから追加情報を出していこうと思います。現時点(2023年9月)では、毛谷黒龍神社での説明と黒龍神社の説明では同じ四大明神の一柱として説明がされています。
※ 謎解きになるかはわかりませんが、毛谷黒龍神社について紹介していきます。
由緒
男大迹王越前國御在住の時、地の理に随ひ越前国の日野、足羽、黒龍の三大河の治水工事をされ越前平野を拓かれた際に、北陸随一の大河であった黒龍川(九頭竜川)の守護と国土安穏、万民守護のため高屋郷黒龍村(舟橋)毛谷の杜に高龗神、闇龗神の二柱の御霊を祀る「毛谷神社」が御創建されました。
1392年。後醍醐天皇の元徳元年6月1日神託により越前守参議藤原國房公が北ノ庄菩住山斎屋清水の上に(足羽山)に奉還され、元鎮座の黒龍村(舟橋)名を併せ「毛谷黒龍神社」と改称します。
天地の初めから国土を守護されてきた四方位を象徴する御四柱の神の一社にて、往古より北国の鎮護神として著われ、「国土護治の神として、四國に四神座しき、東に常陸鹿島大明神、南に紀伊熊野大明神、西に安芸厳島大明神、北に越前黒龍大明神四隅を司どらしめ守護し給ふ」(絵図記)と記され日本古来の四大明神の一つとされています。※毛谷黒門神社由緒より
ということで…最初に創建されたのは、477年の三大河川治水工事のため黒龍川(後の九頭竜川)の守護として、高尾村黒龍村毛矢の社に創祀されたのが始まりとなります。その後遷座を繰返して、福井市船橋に黒龍神社は落ち着きます。
黒龍大明神の信仰は元鎮座した黒龍村から連綿と現在まで受け継がれているとされています。
元の社があった毛矢1丁目から移築されて3丁目に移っていますが、これは単純に移築時に分かれてしまった説だと…どちらも同じ神をまつり、どちらの神も同じ役割を持ちます。そして同じ地区で川からの災害から人を護るために鎮座しています。
片や太古日本の四大明神の一柱として、片やpowerspotとして有名のようです。
距離にして6キロ程度。今度は舟橋黒龍神社にも足を延ばしてみようと思います。
【毛谷黒龍神社2につづく】
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