女神の福音~心流紀行

縁あって訪れた女神の社にまつわるetc...

【神奈川】円覚寺

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鎌倉紀行第4弾になります。

鶴岡八幡宮からMarloweへと立ち寄り、北鎌倉へと向かいます。今回の旅のキーワードは『辨財天』です。千葉へと向かう道中で、戯れに辨財天を検索したところ、様々な辨財天の鎮座する神社仏閣が上がってきたので、立ち寄れそうなところに向かいつつ、千葉県木更津市を目指します。

臨済宗大本山 円覚寺

北鎌倉駅の目前に位置する臨済宗円覚寺派大本山。蒙古襲来による戦没者の霊を慰め、禅宗を広めるために、鎌倉幕府8代執権の北条時宗が弘安5年に創建された。厳粛な雰囲気の境内には、ふたつの国宝などがあり、紫陽花や紅葉の名所としても人気が高いといわれています。禅寺として、仏殿の白龍の図なども有名だそうです。時間があるときにはのんびりと巡るのもおすすめです。

心流紀行

Marloweから車で30分足らずで迎える場所でもある北鎌倉にあります。目標到着時間は16時ということで少し気持ちは焦り気味です。拝観自体は16時30分までできますが、朱印などをもらうときには少しゆとりがあるほうがよいかと思います。

 

車の中で食事をしつつ、partnerはしばしの睡眠を。金曜の昼下がり、混んでいるというよりは学生さんがあふれる時間ということで、のろのろ運転気味になっています。真面目な話、鎌倉から車で移動するには…時間帯を考えておくのがお勧めです。

 

仏閣は北鎌倉駅のすぐ裏手にあります。先行する車について線路を超えたらそこは関係者及び檀家さんのみの入り口ということで、バックで下がることに。後ろに来ていた車が山門の方へと向かうので、行けるんだとついていったら行き止まりで方向転換してくる状況に…

時間が刻一刻と迫っていく中で、侵入を誤った最初の道の横がコインパーキングなのでそちらの報へと戻ります。なかなかのアクロバット走行です。道幅的に小生のCX-8はぎりぎりです。

 

気を取り直してコインパーキングに車を止めてから円覚寺に向かいます。時間的に16時少し前、参拝に入ることはできますが、時間的ゆとりはそれほどありません。ということで、拝観料を支払う際に教えてもらうことにします。

いつも気ままに巡るので、教えてもらうことはないのですが…小心につききけないだけかもしれませんが…勇気をもって(笑)

目的の一つである朱印をお受けするには、と尋ねると少し行った先で朱印帳を預けて、先に仏殿にいくことを勧められます。

一応、仏殿で参拝後、繋がりを確認した後に朱印を受けていただく方が良いとのことです。ただ、預けて参拝、授与で問題ないとのことです。中には、スタンプラリーの如く朱印だけを求めてくる人もいるので…と寂しそうに説明してくれました。

小生にとっては耳の痛い話です。朱印をいただいていた頃は、確かに一日に何軒回れるか。どのルートが最短かかなどの速度処理をしていました。その頃の自分に伝えられるなら、もう少し敬えと教えてあげたいです(苦笑) 後悔先に立たずというやつです。

 

教えていただいた通りに進んでいくと社務所のような建物があります。そちらに立ち寄り朱印帳を預けると「お預かりします。お参りください」と声をかけられます。こちらでは説明がないというよりは、「それが普通でしょ」という空気があります。とてもにこやかで人当たりの優しい方ですが…

ただ時間が少し気になったので尋ねると「戻ってくるまで待っていますのでごゆっくりと参拝ください」と言ってくださいます。とはいえ閉館まで1時間をきっている時間から全殿を回ることは叶わないので、「仏殿と弁天堂を回ることが可能ですか?」と再確認すると「少し急がれるほうがよろしいですね」と教えてくれたのは16:30に閉まるからだったようです。それを知るのは着いてからですが… 少々ぶっきらぼうな方、というだけのことでした。

 

久しぶりの傾斜のある道を進んでいき、山門を眺めます。

この門は三解脱(空・無相・無願)を象徴するといわれているそうです。煩悩を取り払い涅槃・解脱の世界である仏殿に至る門とされています。

さて小生の煩悩はどうなることやら…と思いつつ山門をくぐっていきます。

 

神域というのは不思議な場所です。少し疲れている方が余計なことを考えずに素直な思いで心願を伝えることができると言われているそうですが…小生、意外にも体力があるらしく、余計なことを考えていたりすのですが…この時は、何故か真言を口遊んでいたりして… 辨財天真言… まだ弁天堂に向かっていないのが…あれですが…周りの景色を楽しみつつ、仏殿に辿り着き、宝冠釈迦如来と呼ばれる華厳の盧遮那仏にご挨拶を。しばしそこに佇む時間がなんとも贅沢に感じるのは、この広い空間を独り占めしているせいかもしれません。仏像との対話は、自身の中にある何かとの対話ともいわれているそうです。この時、何かを語り合った記憶はありませんが、何とも心地良い安らぐ時間があったのは確かです。

そして目的のひとつ、仏殿内を見上げると圧巻の三爪の白龍図を眺めつつ、龍の瞳に引き込まれることしばし…時間にして数分ですが見上げたまま佇んでいたようです。

仏殿から出るとpartnerが「満足できた?」と声を掛けてくれます。「きっと」と応えて、差し伸べられた手を握って仏殿を後にします。

 

少し下る道を歩いていくと弁天堂のある山?に着きます。大げさに言えば森の中に入っていくような感じで入り口があります。もしかするとこの入口見落とす人もいるかもしれません。今の時間のせいか薄暗さがあり、入るのを躊躇する人がいるかもしれません。

とはいえ、ここが小生の目的地。少し息が切れるほどの登りをして、弁天堂での参拝を。茶屋は終わっていましたが、そこから望む展望は、是非訪れてください。

まるでこの景色を望むように建てられたかのように、弁天堂はその場所に映える存在として建っています。辨財天(サラスヴァティ)が旅路に立ち寄ったのなら、この景色を眺められるように堂が建てられたのかもしれません。

少し二人寄り添って景色を楽しみ、不意に吹く風が火照る体を癒してくれます。

 

人は決して独りでは生きていない。勘違いするように、我を張っている人もいますがその人も誰かに支えられ、助けられて生きているということに気付ける時がくるのでしょう。少なくとも小生は彼女との出会いでそれを知りました。少しずつ、感謝することを覚え、見真似が真の気持ちと共にできるようになるまで、結構な時間が流れたようです。

生活に困る訳でも、生きていくのに困る訳でもありませんでしたが、いまと比べるのなら勿体無い時間を過ごしたと思えます。本当に、時間が超越できるなら、誰か意気がっていた小生に伝えてやって欲しいものです。自分で言っても聞かないでしょうから(苦笑)

 

「そろそろ行こうか?」と促されてからの下山?。

ゆっくりとした足取りで、滑らないように降りていくpartnerの少し前を歩きながら、ふと一緒に過ごす時間のやさしさを感じます。お互いの気遣いが相手に伝わる距離を感じながら通路に降りると「ありがとう」と彼女は微笑みます。

特に何かをしたわけではなく、ただ少し前を歩いていただけですが…当たり前の行動にお礼を告げてくれることの大切さを教えてくれます。

本当は、小生もお礼を返すべきですが、何ともむず痒い照れ臭さがあって、小生は手をつないで社務所へと向かいます。彼女のが慎重に行動したから事故がなかっただけ、その気遣いに心中で感謝をして…

 

 

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