女神の福音~心流紀行

縁あって訪れた女神の社にまつわるetc...

【日本五大辨財天巡り】1社目 竹生島・宝厳寺 1

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関西圏に住んでいると最初に訪れる辨財天はここになるのかも…

滋賀県までは高速を使って2時間程度。早朝の時間を抜けていくと駐車場も停めやすいのでお勧め。9時前の1番船に乗り込んで約30分で竹生島につきます。竹生島の観光は早い船で渡る方がのんびりとできます。船酔いが気になる方はデッキでの時間もよいものです。

下船すると最初に「えっ?」となるのが階段です。目指すべき寺は山の上です。上るのを断念して…とはさすがになりません。目的地がそこにある以上、そこに行かないとこの旅自体が徒労になってしまうので…

正直なところ、祈りの階段165段を上るのは…足に来る年齢になっています。

※ 例によって例の如く写真は後で足し込みます。(写真UP後この一行は消えます)

竹生島

島内には日本三弁財天の一つである大弁財天を祀る宝厳寺龍神信仰の都久夫須麻神社があります。港から、商店が並んでいるので、何となく眺めながら…行きにお土産を手に入れるのは愚な行動です。帰りにしましょう。

竹生島は、古き良き田舎町の港という感じです。ノストラジックな空気感を楽しみながら、帰りに立ち寄るかも?と思う店にあたりをつけておきます。ここからは全てがタイミングに委ねられます。タイミングが合わないと、お土産どころではなくなります。

拝観料を払い、祈りの階段を上がっていった先に宝厳寺はあります。ここに辨財天がいます。春や秋の晴天なら木漏れ日が「祈りの階段」をきれいに演出してくれます。

宝巌寺

真言宗豊山派の寺院。山号は巌金山。本尊は本堂(弁財天堂)の大弁才天観音堂西国三十三所第30番札所で本尊は千手観世音菩薩。観音霊場であるとともに、弁才天信仰の聖地でもあり、日本三大弁天の1つを奉っている。弁財天は秘仏とされ、60年に一度開帳されるということです。次回の開帳は2037年で…ぎり見れるかな(苦笑)

弁財天

弁才天七福神の一人として民衆の信仰を集めてきました。人の穢れを払い「富貴・名誉・福寿」「愛嬌縁結びの徳」「子孫」を恵む神です。また「音楽・智恵・財物」の神として吉祥天とともに広く信仰された女神です。

インド古代信仰(インド神話とかもこれ)の水を司る神「サラスヴァティー神」で、それが仏教における守護神として取り入れられたのです。
インドでは「水」には汚れを洗い流す力があることから、人々の清き心(菩提心)を守る神として信仰を集め、修行者の守り神として、修行を助けるからこそ、芸道、商堂の守り神になったと言われています。

由緒かな?

寺伝によれば724年(神亀元年)、聖武天皇の勅願によって行基が浅井姫命を祭神とする都久夫須麻神社がある竹生島を訪れ、大弁才天を祀ったのが起源とされている。しかし、931年(承平元年)成立の『竹生島縁起』では、行基の来島は738年(天平10年)小堂を建てて四天王を祀ったのが始まりとされている。

市杵島比売命も祀られ、神仏習合が進んで都久夫須麻神社は当寺と一体化した。本尊大弁才天を祀る当寺の本堂は現在の都久夫須麻神社の本殿であったことから、寺と神社の区別はなくなり、寺名と社名も合わさって竹生島大神宮寺や竹生島権現と名乗り、観音と弁才天信仰の島として栄えることになる。

明治時代、神仏分離令が出され、時の政府は本堂である弁才天堂を平安時代の『延喜式』に見える「都久夫須麻神社」という社名に変更することを強要した。1871年明治4年)には大津県庁より「仏教寺院としての宝厳寺は廃寺するように」と命令が出され危機を迎える。しかし、寺側は大弁才天神道の神ではなく仏教の仏であると主張して譲らなかったとされている。

結果、竹生島の信仰施設は宝厳寺と都久夫須麻神社に分離することになり、1874年(明治7年)に「寺」と「神社」の境界が決まり、これまでの寺の本堂が分離した都久夫須麻神社の本殿となった。寺・社分離以来、本堂がなかった宝厳寺は、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)に現在の本堂が建立され、再び本尊大弁才天が祀られるようになった。

心流紀行によせて

女神サラスヴァティの旅路のひとつは、インドより遠く離れた日本の地にある。歴史の中で振り回されるようにその地その地にて来て力を発揮してきたのだろう。どの経路で滋賀に辿り着き、湖の島に渡ったのか…時代を考えれば途方もない旅だったことが予想できる。

それは、未開の地に足を踏み入れるかの如く無謀な行為なのかもしれない。

歴史という語りに刻まれた言葉の中で、『勅願』という言葉がある。太古の時代、日本に限らず多くの国では贄を必要とする神への願い。それに選ばれるかのように…

島に渡った彼女の願いは何だったのだろうか。

当時の事実は知るすべもないが、聖女の如く、祈りを捧げてくれたのだろう。それが繁栄と繋がり、信仰へと変わっていったのかもしれない。そう思えるほどに時代に翻弄されているのが宝巌寺の歴史から感じられる。

もちろん私的見解全開の意見であり、勝手なドラマである。

ただ、この島から眺める景色の雄大さが、彼女の心を癒し、彼女を守る者たちによってその存在が神格化したのなら素敵な物語があったのだと思いを馳せたくなる。

心流紀行

日の出前の時間。静寂と呼ぶにふさわしいアスファルトジャングルの一角で愛車のエンジンをかける。共に巡ってくれる友の元へと向かいながら、まだ眠っている街並みを眺めるていると、心が躍りだしていることに気付いた。

「いつかは…」そんな言葉を何度か使い、これまでにスルーしてきた時間が始まる。それも心を躍らせてくれているのだろう。やり残しという言葉に、いつの間にか弁財天巡りを『夢』という箱の中に閉じ込めていたのだろう。

何気に話をしたときに、すぐに「一緒に」といってくれた兄貴分に本当に感謝している。尻を叩くように騒いでくれたパートナーにも、そして、何も言わずに兄貴分に寄り添う姉貴分にも感謝している。

旅の連れ立つことの喜びを久しぶりに実感する。本当に感謝しかない。

住宅街に入ると町は少し暗がりになる。そういう時間からの始動。早い時間に、何処か心が冷静さを取り戻していく。

メンツが揃い一路滋賀県へ。道中は賑やかに、途中、SAPAに寄り、滋賀県へと入る。

静かな時間が流れていく。滋賀の町は少しのんびりした空気が流れている。経由地になる長浜港は何度か利用している港で、早い時間の方が車が停めやすい。

今回は、兄貴分夫妻の愛犬も同乗しているので、その事を駐車場の係の人に言うと、本来は車を止める処ではない場所へと案内してくれた。日陰のそこは、「比較的太陽の光にさらされないと思う」という心遣いの元だった。

残念なことにフェリーに乗れなかったので愛犬は車でお留守番と。

フェリーまでの時間、観光案内を眺めながら、終わってからのことを考えたりする。長浜の町はノストルジックな空気が流れている。個人的には土日はお薦めしない。ただ土日でないと開いていない店も多数ある。

共する人が違えば世界は一変する。それも旅の醍醐味といえるだろう。

フェリー乗船の時間。人がすごく並んでいる。良い席に座りたい心理というのだろうか、それとも乗り遅れを気にしているのだろうか。何かを生き急ぐような行動に、何かを忘れていかないように…ふと思ってしまう。

日本三大辨財天。この地は真ん中にある。小生の旅は、この真ん中から始まる。

(1社目 竹生島宝厳寺 2 につづく…)

 

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