女神の福音~心流紀行

縁あって訪れた女神の社にまつわるetc...

【東京神田】風の吹くままにぶらっと 3

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新郎新婦の素敵な見つめ合い微笑む姿を見ていると、全く無関係ですが幸せな気持ちになれます。きっとこういう感じを幸せの循環というのでしょうね。エネルギーが良い風に回っていると、負の考えに縛られなくて済むようになります。

希望は地べたに転がっているわけではない。顔をあげた先にあるもんだ。

と誰かが書いていました。引用できずオリジナルな部分も混ざっています(笑)

ここまでの工程で、実に一万歩を超える移動…約7K。ホテルまでの帰路を歩くか、電車にするか、と決断に迫られます。が、少なからず4Kはあるはずと推察できます。

心地好い気分でホテルに戻るには…電車しかない。

Google Mapで確認するとJR上野駅が近くにありました。

湯島天満宮の見取り図を確認して上野駅の方角を確認してから、散策開始です。

※例によって例のごとく写真を掲載するとこの一行は消えます。掲載まで少しお待ちください。

不忍池

JR上野駅に直結している上野恩賜公園の南端に位置する池です。周囲は約2km。その中央に中之島があります。この不忍池弁天島中之島)に辯財天を拝する辯天堂があります。

池は遊歩のための堤で3つの部分に分かれており、それぞれ、一面が蓮で覆われる蓮池、ボートを漕いで楽しむことのできるボート池、上野動物園の中に位置しカワウが繁殖している鵜の池の3つになっています。

名前の由来ですが、弁天島に建つ石碑に、かつて上野台地と本郷台地の間の地名が忍ヶ丘)と呼ばれていたことと記載されています。ただし、異説もあり、周囲に笹が多く茂っていたことから篠輪津が転じて不忍になったという説、ここで男女が忍んで逢っていたからという説や、上野台地が忍が岡と呼ばれていたことにたいして不忍池命名された説もあり、興味尽きない話があります。

心流紀行

湯島天満宮の裏手側へと進むと鞍馬神社(分御霊)があります。こちらも何かの縁*1ということでお詣りをしてから、JR上野駅の方へと向かう先が夫婦坂と称される階段?これを下って上野公園の方へと向かうと不忍池があります。Google先生によると徒歩7分の距離。

向かっていくと観光客で混み気味です。不忍池をバックに写真を撮る姿なども見られますが、カメラを構えている前を堂々と通る年配夫婦がいたりと、気遣いの心が感じられない年配の方を見ると寂しさを感じます。気が付いていないのかと思いましたが女性の方が止めようとしているのを男性が無理に押し通る強引さに流石に観光客の方も目を点にしていたのが印象的です。

それほど多くはないですが海外に旅に出た経験からすると、その地の人は、周りをよく見て適切な親切を見返り無しにしていました。その恩恵を小生が受けたのも確かです。だからこそ、自身にできる範囲では誰かの手助けはしたいと考えています。

その行為には照れ臭さがついてまわります。だからこそ無理をする必要はなく、写真を撮っていれば立ち止まるだけでも十分だと思います。迂回するのもありです。相手に気づいてもらう必要はなくても、気付いてもらったのなら会釈程度の挨拶で済ませれば十分です。

何かをしたことで、見返りを求めるから、相手の依頼を待たなければいけなくなるのかも知れません。自分の意思で、自分の都合で手を貸すだけのことを大上段に構えて「してやっている」的な態度と言葉を使う人もいるようですが、その手の輩にさもしさを感じていた理由が不意に届けられた気がします。

人の幸せや成功を妬む気持ちを持てば持つほどに、嫌らしさは顔を出すことになるのかも知れません。たった数十秒のやり取りですが、そこにある狭心に、『人の振り見て我が振り直せ』と伝えられたように感じます。

小生の場合、寂しさを感じるのは蓮の花の時期が終わったことにも関係しているのかも知れません。花が咲く時期に来ていたら、華やかで賑やかだったのだろうなと思いを馳せながら歩いていたおかげでそういう行動を引き寄せたのかも…

そんなことを考えていると辯天堂の裏手で写真を撮っている方に遭遇します。小生は足を止めただけですが、観光客らしい人たちも気付き足を止めます。「ありがとうございます」と写真を撮り終え投げていただいた言葉に「いいえ」と答えるだけで気持ちが軽くなります。それに乗るようにして、観光客たちも真似て「いいえ」と声をかけます。首を傾げながら。

残念なことに、小生には正確に言葉の意味を伝える語学力はありません。とはいえ、放置もできないので出鱈目英語で「『いいえ』=『No problem』」と。

「thank you」と投げられた言葉に「No problom」と返すとえっ?という表情が…「いいえ。どういたしまして」と返すと笑顔で応えてくれます。こういうセンスは見習いたいものです。

少しのほっこりとした空間。写真を撮っていた女性が一人照れているのも印象的です。きっと日常の当たり前の挨拶と気遣い、そこにイベント発生の出来事に戸惑いが生まれたのでしょう。

少しだけ賑やかな瞬間に立ち会えたことが幸せに感じられます。

このあと、もう一度この観光客とすれ違いますが、別の場所でも「いいえ」をやっていました(笑)

余談ですが…

人柄は国柄ではありません。その人の育った環境が培うものです。

さもしい行動をとれないのはそう育ったせいです。誰かに原因を求め、親や祖父母が悪いという人もいるでしょう。学校の先生!という人もいるかもしれません。悪い友人という人もいるかもしれません。

それらは甘えにすぎません。全てはその人自身が招いただけです。親がどうであれ、先生がどうであれ、友人がどうであれ、いまの自身を形成する何かにはなりません。

さもしい行動をする人の子供がさもしい*2行動をするわけではありません。結局はその人自身の問題です。

誰の所為でもなく、自身が抱き続けた妬みや嫉みがその人になる結果です。

あなたの周りで、能力もなくただ口だけの人、他人の成果を自分の物の言う人、チームですべきことを一人でやり遂げたように言う人、自身の我を通そうと恐喝恫喝的獰猛的な行動を当たり前だと思う人には一度は正した方が良いのでは?と提案してあげてください。一度で直そうとしない人は、相手にしない方が良いでしょう。その人は生涯直ることなく気付きもしない寂しい人として見てあげるほうが良いかもしれません。

と、奈良にあるとあるお寺の住職さんの説法?で聞いたことが思い出されます。大和の国七福神で訪れたお寺で、「急がずにお茶でも」と声を掛けていただいたことが思い出されます。

あの頃、「?」だった言葉の意味がいま解き放たれていくように思えます。

人との出会いは、その瞬間に解らなくても、未来のどこかの答えのようです。それは時間枠に縛られていると気付けないのかもしれません。

そういう点でみれば、デジャブを感じられる人には多くのチャンスがあるのかもしれません。デジャブは時間枠を飛ばしてますよね。時間概念の過去にあったのか未来にあったのか…という点で。

時間枠を超えたときに起きる恩恵が何かはそのときのお楽しみですね。

 

 

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*1:別の機会に鞍馬神社記事を

*2:心がきたなくいやしい。あさましい。